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Journal会社の歩み読む時間 約3分

ネオン、
電気商会、電業

社員2人の山田ネオンから、30人のタカネ電業へ。
会社の年表を、一行ずつ読む。

タカネ電業の年表は、1955年の「従業員数 2人」から始まる。社名は山田ネオン、山田電気商会、株式会社タカネ電業と移り、本社は船橋市の高根台から松が丘へ移った。年表と、2020年の会社案内に残る言葉を手がかりに、名前と場所と人が変わった年をたどる。

船橋市松が丘4丁目の本社。1983年にこの場所へ移り、1993年に建て替えた。
船橋市松が丘4丁目の本社。1983年にこの場所へ移り、1993年に建て替えた。

01 Names三つの名前

1955年、山田耕蔵さんが山田ネオン会社を設立した。年表の従業員数の欄には、2人とある。会社はのちに山田電気商会と名を改め、船橋市高根台に移った。

1978年には、船橋市松が丘2丁目へ移る。年表のこの年には、集合住宅の電気工事の下請けになったことが書かれている。従業員は3人。翌1979年に山田耕蔵さんが亡くなり、妻の山田恵美子さんが代表になった。年表は、年ごとに漢字二字の見出しを添えている。1955年は「創業」、1965年は「改名」、そして1979年は「試練」である。

1981年、株式会社タカネ電業を設立する。資本金は300万円。代表取締役に山田恵美子さん、専務取締役に村上隆さんが就き、同じ年に建設業の許可を申請して登録した。従業員は5人になっていた。

02 Matsugaoka松が丘四丁目

1983年、本社を新しく建てるため、松が丘4丁目1番28号へ移った。今の本社の住所である。1990年に村上隆さんが代表取締役になり、従業員は10人。1992年に資本金を1000万円に増やし、1993年に本社屋を建て替えた時には、13人になっていた。

年表には、会社のできごとと並んで「毎年恒例の社員旅行」も載っている。1996年は北海道へ行った。この年の見出しは「順調」。2004年に従業員は15人になった。2012年には、建設業の許可を一般から特定に切り替え、資本金を2000万円にした。従業員は20人。

絵 トラックの昇降板から、ケーブルのドラムを二人で降ろす。

「電気自体は目には見えませんが、工事後にスイッチを入れた瞬間パッと明るくなり、目に見えるものになります。」

取締役 村上有志さん(2020年の会社案内。当時 地域一課 課長)

03 Words目に見えるもの

2018年、村上隆さんは取締役会長になり、村上由美子さんが代表取締役を継いだ。

2020年に作った会社案内には、課長たちの言葉が並んでいる。地域一課の課長だった村上有志さん、今の取締役は、電気の仕事をこう書いた。

「電気自体は目には見えませんが、工事後にスイッチを入れた瞬間パッと明るくなり、目に見えるものになります。」

続く一文は短い。

「なんとも言えない温かな達成感です。」

同じ会社案内で、村上有志さんは、仕事のあとにみんなで話ができる、先輩と後輩の壁のない職場だとも書いている。

同じ頁で、地域二課の課長は、以前に現場で一緒に働いた会長の言葉を挙げている。「自分が社長と思え」。一人ひとりが、人に頼らず自分で対応できる職人になれ、という言葉として覚えているという。

04 Milestones伝達式は、社内で

2020年には、バスケットボールクラブのFABスポーツアカデミーとスポンサーの契約を結んだ。

2021年10月29日、紺綬褒章の伝達式が、タカネ電業の社内で行われた。公益のために私財を寄付したことへの褒章である。翌月には、会社の設立40周年を記念して、社員一人一人に記念品と紅白饅頭が手渡され、それぞれの勤続年数が伝えられた。

2025年には、ホテルスプリングス幕張で創業70周年の祝賀会を開き、来賓と協力企業、社員の家族が集まった。同じ年、代表取締役に村上卓寛さんが就き、兄の有志さんが取締役として並んだ。

年表には、できごとの年ごとに従業員の数が添えてある。2人、3人、5人、10人、13人、15人、20人。2020年の欄には、30人とある。

絵 社用車の後ろを開け、脚立とケーブルを降ろす。

年表とできごとは、同社の沿革・年表・お知らせから。社員の言葉は、2020年の同社の会社案内から引きました。

#3-D 街に電気が通る